小瀬砲台跡(おぜほうだいあと)
小瀬川をはさんで、安芸国(現広島県)との国境地帯となる小瀬には、防御のため、多くの砲台が築かれました。 また、岩国へ入る山陽道の関門周辺には、防御のための大きな柵や隠れて射撃するための隠 … 続きを読む
小瀬川をはさんで、安芸国(現広島県)との国境地帯となる小瀬には、防御のため、多くの砲台が築かれました。 また、岩国へ入る山陽道の関門周辺には、防御のための大きな柵や隠れて射撃するための隠 … 続きを読む
【所在地】〒741-0062 山口県岩国市岩国5丁目2
寛政5(1793)年6月に岩国7代領主吉川経倫(きっかわつねとも)の隠居所として建造。 廃藩置県の際、岩国県庁が置かれ、岩国の政治の拠点となりました。 現在は、18世紀末頃の建築様式を留めた長屋二棟門 … 続きを読む
第二次長州出兵の際、万一岩国の城下で戦闘になった時に備え、 城山山頂には陣屋が築かれました。 万一の場合、城を枕に決死の覚悟で抗戦し、萩本藩の援軍を待つ作戦だったとされています。 【所在地】〒740- … 続きを読む
陸軍元帥長谷川好道(はせがわよしみち)の父で、幕末には一隊を組織し維新の勲功者として顕彰された長谷川藤次郎(はせがわとうじろう)の墓があります。 また、「岩国名物、錦帯橋と宇野金太郎」と称された剣豪の … 続きを読む
第二次長州出兵の際、藩主夫人や古文書類の避難場所となりました。 吉川経幹は征長軍を岩国城下で迎え撃つ覚悟であったと言われ、夫人や古文書類を南河内にある福城寺に避難させていることからも経幹の覚悟がうかが … 続きを読む
第二次長州出兵のときには、僧侶もまた隊を組んで戦っています。 西照寺は山代の僧侶により編成された偕行団の屯所が置かれた場所です。 階行団は歩兵部隊と大砲部隊からなり、芸州で幕府軍と戦闘し、撃退していま … 続きを読む
南部五竹(なんぶごちく)が斬首された場所。 五竹は東沢瀉(ひがしたくしゃ)、栗栖天山(くりすてんざん)と並び三士と称されます。 沢瀉、天山が柱島に流罪になった時、沢瀉の救出と奇兵隊への呼応を諮るが未然 … 続きを読む
長州軍は第二次征長軍からの攻撃に備え、遊撃隊を主力として小瀬村に駐屯させました。その本陣がおかれた場所が籌勝院です。 芸州口の戦いでは、彦根藩を中心とする征長軍に対し大勝しました。境内にはその戦いで戦 … 続きを読む
岩国三士の一人、東沢瀉(ひがしたくしゃ)が後進の指導のために開いた塾の跡地です。 現在、跡地には記念館が建てられ、当時の学舎などの位置図が掲示されています。 かつては5つの学舎や講堂、沢瀉の自宅が立ち … 続きを読む
明治25(1892)年に旧岩国藩公と藩の有志により吉香神社内に建てられた、岩国三士(栗栖天山(くりすてんざん)・南部五竹(なんぶごちく)・東沢瀉(ひがしたくしゃ))の活躍を伝える碑です。 天山は沢瀉と … 続きを読む
山代神威隊の屯所が置かれた場所です。 高杉晋作の決起によって藩政が武備恭順に変わり、藩内で諸隊が結成されました。 山代では神官による諸隊を結成。 その一つ神威隊は芸州口の戦いで幕軍を退ける活躍をしまし … 続きを読む
慶応元(1865)年より、幕府軍による征長に備え、東境の守りの要として遊撃隊の本陣がおかれました。 境内には、高杉晋作遊撃隊激励の詩の石碑などがあります。 また、庭は雪舟作と伝えられます。 【所在地】 … 続きを読む
赤禰武人は天保9(1838)年、柱島の医者の長男として生誕。 師の梅田雲濱(うめだうんぴん)が安政の大獄で投獄されたとき、その救出策を吉田松陰から授かりますが、実行に至らず。 松陰は武人の才能を大いに … 続きを読む
柱島の西栄寺に赤禰武人は眠っています。 武人は長府藩士と共に薩長盟約の交渉にあたりましたが、その中での調停行為が二重スパイ行為として疑われたことで、長州藩によって捕えられ元治2(1866)年に処刑され … 続きを読む
始めは仙鳥屋形と称し、元禄11(1698)年、岩国5代領主の吉川広逵(きっかわひろみち)幼時の居所として建てられ、以降は代々藩主幼時の居所に充てられました。 12代領主経幹(つねまさ)、13代領主経健 … 続きを読む
弘化4(1847)年、岩国12代領主・初代藩主の吉川経幹(きっかわつねまさ)により創建。 文武併置、仕事や環境により出勤や入校を考慮され、考試制度を導入。 幕末岩国の志士を育てました。 慶応2(186 … 続きを読む
岩国藩の海の玄関。 第一次長州出兵の際、長州藩の処置について話し合うため西郷隆盛らがこの港から上陸しました。 また、第二次長州出兵の際には、幕府の訊問使である永井主水や随行した新撰組・近藤勇らとの交渉 … 続きを読む
元治元(1864)年春、吉川経幹(きっかわつねまさ)は国境の魚切(現岩国市美和町)を訪れ、飢饉の惨状を目撃します。 経幹はその復興のため撫育役場を東林寺に設置し、国固めのため坂上組を編成させました。 … 続きを読む
本郷町の古い町並みにある水路は杉民治が整備したものです。 今も清らかな山水が流れていおり、近隣の田畑へ水を供給しています。 【所在地】〒740-0602 山口県岩国市本郷町本郷神田