外国に開国を迫られ揺れる幕府と諸藩。そのなかにあって長州藩は尊皇攘夷運動の先頭に立ち、ついには明治維新を成し遂げます。その眩い偉業の陰には、岩国ゆかりの志士たちの活躍がありました。
第一次長州出兵の戦を食い止めた岩国藩主・吉川経幹。柱島(岩国市)に生まれ松陰に育まれ活動した赤禰武人。芸州口の戦(第二次長州出兵)に臨み勝利した名もなき兵士たち。その後の岩国藩近代化に立ち上がった東沢瀉ら三士と、山代(岩国市北部)の発展に尽力した代官・杉民治(松陰の兄)。
そんな幕末の岩国に秘められた志士たちの物語をご紹介します。
岩国幕末物語
- 幕末STORY 1 岩国藩の活躍と悲願成就
- 幕末STORY 2 吉田松陰、小瀬川での別れ
- 幕末STORY 3 松陰の兄、杉民治(梅太郎)
- 幕末STORY 4 長州を救った吉川経幹
- 幕末STORY 5 第三奇兵隊総督 赤禰武人
- 幕末STORY 6 岩国の志士、東沢瀉
- 幕末コラム 碑に刻まれた少年史
- 幕末コラム 篤姫も渡った錦帯橋
- 維新コラム たった2年の偉大な学校/岩国英国語学所
岩国幕末年表
文政12年(1829) | 9月 | 吉川経幹生まれる |
嘉永6年(1853) | 6月 | ペリー浦賀へ来航 |
安政元年(1854) | 3月 | 吉田松陰、黒船への密航に失敗 |
安政5年(1858) | 6月 | 日米修好通商条約締結 |
安政6年(1859) | 5月 | 吉田松陰、江戸護送の際、 小瀬渡にて防長路惜別の詩を詠む |
10月 | 吉田松陰刑死 | |
文久3年(1863) | 2月 | 毛利敬親が岩国へ訪れ、 岩国藩を支藩と認める旨を約束 |
5月 | 下関事件 | |
元治元年(1864) | 7月 | 禁門の変 |
7月 | 幕府に長州征討の勅命が下る | |
10月 | 吉川経幹は幕府の密使より、 三家老の首級の差出などを条件に 征長猶予を取り次ぐ旨を伝えられる |
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11月 | 福原越後、川西龍護寺(現:清泰院)にて切腹 | |
慶応元年(1865) | 1月 | 征長軍撤兵(第一次長州出兵終結) |
4月 | 幕府諸藩に長州再征の令を発す |
慶応2年(1866) | 1月 | 薩長提携の約を締結(薩長盟約) |
6月 | 大島郡安下庄へ幕府軍攻撃開始 | |
6月 | 小瀬口、和木口開戦(芸州口の戦い)、 | |
岩国藩、長州諸隊とともに要撃 | ||
慶応3年(1867) | 1月 | 幕府解兵の令を布告 (第二次長州出兵終結) |
3月 | 経幹死去(喪は発せられず)、 吉川経健が藩政を継ぐ |
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10月 | 大政奉還 | |
12月 | 王政復古の大号令 | |
明治元年(1868) | 4月 | 吉川経幹が諸侯に列せられ、 岩国藩正式に支藩となる |
明治4年(1871) | 7月 | 廃藩置県 |
7月 | 岩国県となる | |
11月 | 山口・岩国・豊浦・清末の四県を廃し、 改めて山口県となる |
※岩国が正式に藩となったのは明治元年ですが、岩国藩と統一記載しています。