神田原開拓碑(こうだはらかいたくひ)
代官(区長)杉民治(すぎみんじ)と戸長等による開拓事業を後世へ伝える明治前期建立の碑。 他に岡ノ寮、大迫、八場の4ヶ所にあります。 【所在地】〒740-0602 山口県岩国市本郷町本郷神田
代官(区長)杉民治(すぎみんじ)と戸長等による開拓事業を後世へ伝える明治前期建立の碑。 他に岡ノ寮、大迫、八場の4ヶ所にあります。 【所在地】〒740-0602 山口県岩国市本郷町本郷神田
松陰は安政の大獄によって江戸に護送される際、 防長惜別の地である小瀬の渡場で歌を詠んだといわれています。 渡場があった川原のすぐ近にく、歌が刻まれた石碑が建ちます。 【所在地】〒741-0091 山口 … 続きを読む
関戸は山陽道の本陣が置かれた宿場町。 本陣跡近くには松陰が当地で詠んだ詩を刻んだ碑があります。 「美哉山河是国宝何以守之親与賢」。 これは、中国の故事を引用し、毛利家と吉川家が手を結ぶことを願った詩と … 続きを読む
山陽道筋で毛利本藩と岩国藩の境であることから、岩国市の高森に本陣が置かれました。 吉田松陰は本陣近くに宿泊したと伝えられています(写真左は江戸からの護送時に泊まった宿があった所。写真右は松陰と縁深い岩 … 続きを読む
元治元(1864)年、禁門の変の首謀者として岩国12代藩主吉川経幹(きっかわつねまさ)は、11月に国司親相(くにしちかすけ)、益田親施(ますだちかのぶ)、福原越後(ふくはらえちご)の三家老に切腹を命じ … 続きを読む
岩国学校は、明治3(1870)年に岩国2代藩主吉川経健(きっかわつねたけ)が藩の青少年を教育するため学制の大改革を行い、旧兵学校と文学校を公中学・公小学に組織を改めて現在地近くに新築したもので、翌明治 … 続きを読む
岩国吉川(きっかわ)家初代広家(ひろいえ)から、6代経永(つねなが)を除く12代経幹(つねまさ)までの当主及び一族の墓が、51基立ち並んでいます。 常に濃い緑に囲まれた墓所は、静けさに包まれた特別な空 … 続きを読む
吉川報效会が昭和17(1942)年9月に起工し、終戦直前の昭和20(1945)年3月に竣工。 戦時下に、建設、運営が行われた博物館。昭和26(1951)年、岩国市に寄贈されました。 建築工学、音響学で … 続きを読む
吉川史料館(昌明館) 国宝【太刀 銘為次(狐ヶ崎)】 国指定 重要文化財 書跡【吉川元春筆 太平記】 国指定 重要文化財 書跡【吉川家文書】他 平成7(1995)年11月に開館。 始祖より800年の歴 … 続きを読む