吉田松陰歌碑(よしだしょういんかひ)
松陰は安政の大獄によって江戸に護送される際、 防長惜別の地である小瀬の渡場で歌を詠んだといわれています。 渡場があった川原のすぐ近にく、歌が刻まれた石碑が建ちます。 【所在地】〒741-0091 山口 … 続きを読む
松陰は安政の大獄によって江戸に護送される際、 防長惜別の地である小瀬の渡場で歌を詠んだといわれています。 渡場があった川原のすぐ近にく、歌が刻まれた石碑が建ちます。 【所在地】〒741-0091 山口 … 続きを読む
関戸は山陽道の本陣が置かれた宿場町。 本陣跡近くには松陰が当地で詠んだ詩を刻んだ碑があります。 「美哉山河是国宝何以守之親与賢」。 これは、中国の故事を引用し、毛利家と吉川家が手を結ぶことを願った詩と … 続きを読む
山陽道筋で毛利本藩と岩国藩の境であることから、岩国市の高森に本陣が置かれました。 吉田松陰は本陣近くに宿泊したと伝えられています(写真左は江戸からの護送時に泊まった宿があった所。写真右は松陰と縁深い岩 … 続きを読む
長州藩の東端にある岩国・小瀬川。ここは陸路で旅をする長州藩士にとって、 故郷との別れの地であり、帰藩に安堵する地でもあった。 胸躍る旅路 吉田松陰は生涯で少なくとも4度、岩国を通っている。最初は嘉永4 … 続きを読む