赤禰武人生誕の地(あかねたけとせいたんのち)
赤禰武人は天保9(1838)年、柱島の医者の長男として生誕。 師の梅田雲濱(うめだうんぴん)が安政の大獄で投獄されたとき、その救出策を吉田松陰から授かりますが、実行に至らず。 松陰は武人の才能を大いに … 続きを読む
赤禰武人は天保9(1838)年、柱島の医者の長男として生誕。 師の梅田雲濱(うめだうんぴん)が安政の大獄で投獄されたとき、その救出策を吉田松陰から授かりますが、実行に至らず。 松陰は武人の才能を大いに … 続きを読む
柱島の西栄寺に赤禰武人は眠っています。 武人は長府藩士と共に薩長盟約の交渉にあたりましたが、その中での調停行為が二重スパイ行為として疑われたことで、長州藩によって捕えられ元治2(1866)年に処刑され … 続きを読む
始めは仙鳥屋形と称し、元禄11(1698)年、岩国5代領主の吉川広逵(きっかわひろみち)幼時の居所として建てられ、以降は代々藩主幼時の居所に充てられました。 12代領主経幹(つねまさ)、13代領主経健 … 続きを読む
弘化4(1847)年、岩国12代領主・初代藩主の吉川経幹(きっかわつねまさ)により創建。 文武併置、仕事や環境により出勤や入校を考慮され、考試制度を導入。 幕末岩国の志士を育てました。 慶応2(186 … 続きを読む
岩国藩の海の玄関。 第一次長州出兵の際、長州藩の処置について話し合うため西郷隆盛らがこの港から上陸しました。 また、第二次長州出兵の際には、幕府の訊問使である永井主水や随行した新撰組・近藤勇らとの交渉 … 続きを読む
元治元(1864)年春、吉川経幹(きっかわつねまさ)は国境の魚切(現岩国市美和町)を訪れ、飢饉の惨状を目撃します。 経幹はその復興のため撫育役場を東林寺に設置し、国固めのため坂上組を編成させました。 … 続きを読む
本郷町の古い町並みにある水路は杉民治が整備したものです。 今も清らかな山水が流れていおり、近隣の田畑へ水を供給しています。 【所在地】〒740-0602 山口県岩国市本郷町本郷神田
代官(区長)杉民治(すぎみんじ)と戸長等による開拓事業を後世へ伝える明治前期建立の碑。 他に岡ノ寮、大迫、八場の4ヶ所にあります。 【所在地】〒740-0602 山口県岩国市本郷町本郷神田
松陰は安政の大獄によって江戸に護送される際、 防長惜別の地である小瀬の渡場で歌を詠んだといわれています。 渡場があった川原のすぐ近にく、歌が刻まれた石碑が建ちます。 【所在地】〒741-0091 山口 … 続きを読む
関戸は山陽道の本陣が置かれた宿場町。 本陣跡近くには松陰が当地で詠んだ詩を刻んだ碑があります。 「美哉山河是国宝何以守之親与賢」。 これは、中国の故事を引用し、毛利家と吉川家が手を結ぶことを願った詩と … 続きを読む
山陽道筋で毛利本藩と岩国藩の境であることから、岩国市の高森に本陣が置かれました。 吉田松陰は本陣近くに宿泊したと伝えられています(写真左は江戸からの護送時に泊まった宿があった所。写真右は松陰と縁深い岩 … 続きを読む
元治元(1864)年、禁門の変の首謀者として岩国12代藩主吉川経幹(きっかわつねまさ)は、11月に国司親相(くにしちかすけ)、益田親施(ますだちかのぶ)、福原越後(ふくはらえちご)の三家老に切腹を命じ … 続きを読む
(げっしょう、せいきょう) 文化14年(1817)、遠崎(現・柳井市大畠)の妙円寺(浄土真宗西本願寺派)に生まれ、九州、江戸に学び海防策、倒幕論を各地で唱えた。その思想は吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作ら … 続きを読む
(おだむら いのすけ・ぶんすけ、かとりもとひこ) 伊之助は吉田松陰の妹・寿と結婚。 松陰亡き後は萩藩主・毛利敬親の側近として外交を担当。 岩国藩へ訪問し、藩主・吉川経幹へ協力を求めるなど、萩本藩と岩国 … 続きを読む
長州藩の第13代藩主。若い才能を庇護し、有能な家臣を登用。困窮する長州藩を盛りたてた。 下級武士の子で年下の吉田松陰から学んだという逸話がこれを裏付ける。 家臣に「うん、そうせい」と返答することが多く … 続きを読む
藩主の英断 新たな時代の幕開け、明治4年(1871)、岩国藩は人材育成の重要性から、藩校養老館の精神を引き継ぐ藩立岩国学校を開設した。小学、中学に加え語学、女学、医学を備える先駆的な体制だった。しか … 続きを読む
大河ドラマで人気を博した「篤姫」。 実は彼女も、鹿児島から江戸への道中、錦帯橋見物を所望したらしい。 嘉永6年(1853)9月11日の「御用所日記」には、このときのやりとりが記録されている。 強行突破 … 続きを読む
四境戦争が休戦となってもなお国境、岩国の緊張は続いた。 そして、少年たちに悲劇は起きた。 少年たちの訓練 第二次長州出兵(四境戦争)が休戦となった後の慶応2年(1866)11月18日、あと1年ほどで … 続きを読む
陽明学を学び、尊皇攘夷の情熱に突き動かされて行動し、獄に繋がれた。 その獄中にあっても、子弟に教育を施した。 まるで吉田松陰のような人物が、幕末の岩国にもいたことを知る人は少ない。 その名は東沢瀉。「 … 続きを読む
柱島(岩国市)に生まれ、月性、松陰に学び、その才は高く評価された。 奇兵隊総督になったのも、その才と人望によるもの。しかし・・・ 晋作との対立、処刑、復権運動の顛末。その悲劇の真相とは? 柱島に生まれ … 続きを読む