柱島

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島の概要
1_l風光明媚な瀬戸内海の波間に浮かぶ柱島群島の12の島々。
このうち「柱島」「端島」「黒島」の3島が有人の島です。
岩国市新港町にある岩国港から高速艇で約1時間。
3島あわせても人口250人あまりの小さな島々ですが、豊かで美しい自然、新鮮な魚介類や野菜、そして人情味あふれる島の人々がこの島の魅力です。
一年を通じて大勢の方が釣りや登山で訪れているほか、この豊かな自然を活かして、岩国市内の小中学校生徒と島民による自然教室が毎年開催されています。1_1_l1_2_l1_3_l

見どころ
赤禰武人あかねたけとの墓
2_l赤禰武人は、天保9(1838)年、柱島の医師の子として生まれました。
幼い頃から文武に秀でており、僧月性や吉田松陰に学び、高杉晋作とともに奇兵隊創設に尽力し、後に奇兵隊第3代総督を務めます。
しかし、当時藩政を主導していた俗論派(保守派)と正義派(改革派)諸隊の調停を図ったことで二重スパイとして疑われることになります。
さらに、藩論を武力によって統一した高杉晋作と対立し、主戦論からの転換を図った赤禰武人は裏切り者として捕らえられ、慶応2(1866)年、山口の出合河原にて処刑されました。
柱島港から少し坂道を登ったところにある「西栄寺」に赤禰武人の墓があります。
戦艦陸奥英霊之墓
3_l島の南端に「戦艦陸奥英霊之墓」があります。
日本海軍に所属した戦艦「陸奥」は、昭和18(1943)年6月8日午後12時10分ごろ、柱島南西沖約2キロメートルの地点に停泊していたところ原因不明の爆発が起こり沈没。乗組員1,122名が犠牲となりました。
柱島には多くの遺体が流れ着き、陸奥沈没の事実が敵方に知られないよう秘密裏に荼毘に付されました。
後に柱島の人の手によって、犠牲者を悼んでこの「戦艦陸奥英霊之墓」が建立されました。
賀茂神社
4_l集落から少し離れた高台に88柱もの神々が鎮座する賀茂神社。
応神天皇と五十鈴姫命を祭神とし、他に金毘羅宮、出雲大神などの神々が祀られており、柱島という名はこの御柱の多さから名付けられたと言われています。
毎年行われる秋祭りでは、神輿を近くの八幡宮まで担ぎ、島全体で収穫を感謝します。
金蔵山(周防小富士)
5_l柱島最高峰の金蔵山(きんぞうざん)。中世において忽那くつな七島を拠点に瀬戸内海で勢力を誇った忽那水軍の城や太平洋戦争時の海軍の見張所が置かれた場所でもあります。
港のある麓から40分程度で山頂にいくことができ、標高約280メートル附近の展望台からは瀬戸の多島美を望むことができ、空気の澄んだ日は四国まで見ることができます。>>登山体験レポートはこちら
↓見張り所跡
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アクセス
6_l岩国市新港町の岩国港から1日3往復(土日祝日は4往復)の高速船が運航しています。

時刻表、料金などの詳細はこちら →岩国柱島海運株式会社
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宿泊施設
※現在全て休業されているため、観光を予定されている方はご注意ください。

 

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