岩国城の石垣は岩国城旧天守台から西南へ約1500メートルの峯(標高250メートル)から、尾根筋を運ばれた石灰岩で築かれました。石切り場とした峯には、昔から小祠があり、霊地とされた所で、天明年間(1781年~1789年)、藩内で飢饉や地震、火災などが相次ぎ、藩の政治も乱れたため、天明3(1783)年、石切場跡に社殿を建立し、居館を護り、城山を鎮めるため護館神が祀られました。岩国藩祖吉川広家(きっかわひろいえ)が幼少の頃、祖父毛利元就(もうりもとなり)からもらい、戦場で常に身の側に置いた吉川家の武運長久の守護神として勝軍延命地蔵が安置され、「護館神勝軍地蔵」と称せられていました。