第三代奇兵隊総督 赤禰武人(あかね たけと)

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柱島(岩国市)に生まれ、月性、松陰に学び、その才は高く評価された。
奇兵隊総督になったのも、その才と人望によるもの。しかし・・・
晋作との対立、処刑、復権運動の顛末。その悲劇の真相とは?

柱島に生まれて

 赤禰武人は天保9年(1838)、柱島(岩国市)にて、医者の長男として生まれた。嘉永6年(1853)、遠崎(柳井市大畠)の僧・月性の門下生となる。そして安政3年(1956)、月性の紹介を受け、松下村塾の門を叩いた。
 その年のこと、武人は武家・赤禰の養子になった。事を成すには、武士の身分でなければ叶わないと考えたからだ。しかし、松陰は武人の考えを批判する文を月性に送る。国の大義の前では身分にこだわること自体、無意味であると。
 松陰は武人のことを、「才あれども気少し乏し」と評したことがある。才能を評価しながらも、行動を起こす気力が少し足らないと。しかし、松陰はなお武人の才能に期待し、獄中から尊皇攘夷運動への手助けを頼んだとされる。

奇兵隊総督

 松陰の処刑から8年後の文久3年(1863)、高杉晋作が奇兵隊を結成するとこれに入隊。そして、第3代総督となる。その翌年8月には四国艦隊(米・仏・英・蘭)が下関を襲撃。武人は奇兵隊を率いて奮戦した。しかし、やがて晋作と武人には考え方の違いが生じるようになる。
 第一次長州出兵以降、幕府への恭順を進める保守派が藩政府の実権を握っていた。保守派は革新派を投獄し、奇兵隊などの解隊を進める。武人は交渉によって困難を打開しようと奔走した。しかし、晋作は武力による撃破を主張。「赤禰は一農夫、自分は譜代の家臣である」と、晋作は奇兵隊員を説得した。身分の無意味を説いた松陰が聞いたら、なんと言っただろうか。

裏切りを疑われ

 12月15日、ついに晋作は挙兵し、成功。藩政府は武備恭順へ方針を転換した。そして保守派と交渉を進めていた武人はスパイを疑われた。それでも藩のため、長府藩士と共に薩摩藩との盟約交渉に奔走する武人だった。
 慶応元年(1865)3月27日、武人は西郷隆盛を訪ね大坂へ赴き幕府に捕らわれた。そこで長州藩と幕府との仲立ちを武人は申し出て釈放された。第二次長州出兵を阻むためだった。
 しかし、帰国した武人を待っていたのは、裏切り者の烙印。武人は同志に幕府との戦争回避を必死に唱えるが、もはや誰も聞く耳を持ってはいなかった。
 武人は柱島で捕らえられ、慶応2年(1867)1月25日、山口で処刑された。享年29歳。一言も弁明は許されなかったが、その獄衣に無念の叫びが記されていた。「真は誠に偽りに似、偽りは以って真に似たり」。

復権の願い

 明治に入り、武人の義弟は政府に贈位・復権を請願。柳井、岩国がこれに続いたが、実現しなかった。反対したのは奇兵隊の同僚・山縣有朋。下関戦争で、「武人は敵前逃亡した」。最後まで前線で奮戦との史料が残るなか、その証言の真意は謎のままだ。
 松陰に影響を与えた宇都宮黙霖は武人の死に詩を寄せた。「天地の神がその冤罪を知っている」。
晋作は自身の死直前、武人を死なせたことへの後悔を吐露したと伝えられる。贈位は成らなかったが、同志の心のなか、幾ばくかの復権は成ったのかもしれない。

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